Station-NAVI Home Mail
HomeSP-NAVI > 鹿島鉄道



写真
鹿島鉄道

Kashima Railway

●石岡−鉾田 / 5.7km

昭和4年5月16日 全通

Ishioka 常磐線と接続し、機関区も備える鹿島鉄道の起点の駅
Ishiokaminamidai 平成元年に開業した、南台ニュータウンの玄関駅
Higashitanaka 学生の乗降客で賑わう、高校や運動公園に近接した駅
Tamari 昭和63年に信号場から駅に格上げした、交換設備を備える駅
Shintakahama 工業団地に近接する、開業当初からある駅
Shikamura 昔の村名からとった名前を持つ、一直線区間最後の駅
Hitachiogawa 第1期線の終着駅であり、鹿島鉄道の中心をなす駅
Ogawakoukoushita 小川高校の最寄り駅として開設され、高校生に愛されている駅
Momoura かつては有人駅だった、霞ヶ浦に一番近いログハウス風の駅
Yakimaki 霞ヶ浦から離れ、切通しのカーブに位置する小さな駅
Hama 第2期線の終着駅で、鹿島神宮への定期船で賑わった駅
Tamatsukurimachi 新選組を創った男の町としてアピールする、玉造町の中心駅
Enokimoto かつて百里基地へのジェット燃料輸送の拠点となっていた駅
Kariyadomae 自然に囲まれた集落に位置する、丘陵越えの途中にある駅
Tomoegawa 昔駅舎があったが取り壊されてしまった、カーブ途中の駅
Sakado 鉾田市の健康増進施設に近接する、山林に囲まれた小さな駅
Hokota 関東の駅百選認定の、開業当時から残る木造駅舎の終着駅

 JR常磐線の石岡から鉾田までの27.2kmを結ぶ路線。
 鹿島神宮への参拝客輸送を目的に、大正13年に鹿島参宮鉄道として石岡〜常陸小川間が開業し、以後、大正15年には浜まで、昭和3年には玉造までと順調に路線を延長し、昭和4年に鉾田まで開通した。しかし、これ以上の路線の延長はなく、鹿島神宮への連絡は船で行うということになったが、これも振るわなかった。
 昭和19年には、竜崎鉄道(現:関東鉄道竜ヶ崎線)を買収するなど順調に成長し、昭和34年には京成電鉄グループ傘下に入った。
 昭和40年には、同じ京成グループの常総筑波鉄道と合併し関東鉄道鉾田線となったが、厳しい経営事情の折、昭和54年に、鉾田線は鹿島鉄道として分離独立し現在に至っている。
 平成13年に、鹿島鉄道の収入を支えていた百里基地へのジェット燃料輸送が休止(のち平成14年に廃止)となり、存続問題が浮上したが、県と沿線市町村による対策協議会での検討や、沿線の高校生・中学生による運動などにより、公的資金投入が決定し、当面の存続が決定した。

Mail Home Copyright © 2003-2006 Hiro (画像の無断転載はご遠慮願います)